徒然なるままに-023

カテゴリ:名もない私の母( 1 )

母の日に寄せて「名もない私の母」

亡き母の思い出

「母の日」に寄せて

幼子を亡くした母の悲しい日記

 
<優しかった『名もない私の母』>

 私の母は13年前(平成11年)に90歳でこの世を去りました。
薄幸の母でした。
 4歳の時母を亡くし、親戚や姉に育てられて来ました。20歳上
の姉が酒田から小樽に嫁いで来た時、一緒に連れてこられました。
 小さい頃の耳の病気で両耳の鼓膜が無く、脱脂綿にワセリンを
湿らせたものを耳に詰めて鼓膜代わりにしていました。
 眼は極度の近視眼で、年老いてからは耳と併せて3級の身体障
害者として認定されていました。
 家には舅や姑と小姑がいて、貧しい事が原因で時には姑・小姑
そして夫に叱責されることがありました。子供の目には凄まじもの
に映りました。三人が母を囲み長時間に亘って代わる代わる罵声
を浴びせていました。
 しかし、母は言い訳をしたり反論する事もなく、ただ黙って下を向
いて耐えているのが子供心にも分かりました。
 私には母をかばってやる力はありませんでした。子供の私はただ
側で震えて見ているだけでした。母は貧乏から来る問題を一人で
背負い、その苦しみを一人で飲み込んでいたのです。
 その母は、私にとっては優し仏様のようなきれいな心の人のよう
に思われました。
 私は母に叱られた記憶は一度も有りません。
 私の心の中には母のような優しさを求める心と母をいじめる人に
対する憎しみの心が同居するようになりました。
 母は身体の小さい人でした。
 私が子供の頃は身体が弱く、よく病気になって母は病院に連れて
行ってくれました。その頃はお金もない事からタクシーも呼べず小さ
な身体に私を背負いバスに乗って遠くの病院に行ってくれました。
 私が2年生の頃には私の足が地面につきそうなくらいでした。冬路
などでは背中の私の重みで後ろにひっくり返る事も度々ありました。
 私の子供達は母が60歳になった時から生まれたばかりの赤ちゃん
の面倒を見てもらいました。今にして思うとこれも母にとってはとても
辛い事であったろうと反省しています。
しかし、この時も一言も不平や不満も言わず一生懸命育ててもらいま
した。有り難い事でした。
 母は75歳頃から認知症を患い5年間は家で看ていましたが80歳か
ら老人病院に入れて頂きました。10年間病院で過ごしました。後半は
子供である私を「おじさん」と呼ぶ程まで認知症は進行していました。
 恩になった優しい母に十分な恩返しをする事もなく、気がついた時に
は母は亡く、死後見つかった母の懺悔のような手記を公表し、鎮魂の
ブログとしたいと思います。
 私より15歳下の妹(かな子)が3歳の時病気になりましたが、お金が
なかったために病院にかけられず、血を吐きながら死んでいきました。
多分その頃流行の「えきり」というものではなかったかと思っています。
 自分はぼろを着、食べ物は子供達の残したものやご飯釜を洗いなが
ら釜に付いていた米粒を丁寧に拾いながら口に入れているのを見てい
ました。
 このノートが見つかるまでは、母が苦しみながら生きている事に気が
つかなかった私を許して欲しいと思っています。
 優しい母はきっと許してくれると信じています。
 苦労かけた母に謝りたくて・・・・・・・

d0067476_11583162.jpg
d0067476_11591642.jpg
d0067476_042811.jpg

d0067476_23313182.jpg


『短夢善童女位』ニ捧グ
 
                                  母  み つ ゑ

   「かな子の死に寄せて」

 永久(トコシヘ)にかへらぬ御霊(ミタマ)よ 
幼な子吾子(アコ)は今何処(イヅコ)に在はすや 
月の世界か、はたまたお星の国か
 かな子の母の手に、かな子の母の胸に
今一度かへりませ

 「折にふれて」
 あなたは何が故に母の手からはなれて、永久に帰らぬ旅路につきましたか。
 母を捨てて急いで一人旅で御仏の許に行きましたか。
 あなたを失った母は全く生きる希望を失ひました。母思ひのかな子は、きっと
母を求めて泣いてゐるでせう。もう一度母の手に、母の背にかへって下さい。
あなたに逢へるなら今直ぐにも行きたい。未知の世界に。


 四十九日の朝に、夢にあなたの姿を見出しました。
 何時ものはげた洋服を着て、入口にションボリ立ってゐたのを母ははっきり
とみました。
 あなたの事を思うと胸もはりさける許りになって、夜も淋しくてねむられないの。
 あなたは死ぬ迄「お芋に大根御馳走出来て」と歌を謡った通り、お芋に大根が
好きでした。今頃はどこでお芋をもらって食べてゐる事やら。
 一枚の洋服も一個の玩具も与へないで、どんなにつれない母とうらんでゐる事か。
「ほんとうにすまなかった。許して。」とお寺に行って御仏に手をあはせて泣いた。

 幼き霊よ、あなたは夢のようにはかなく去ったので「短夢善童女」といふ御仏の
名前を頂いたのです。生あるものは必ずや死はある。然るに余りに短かい三年
四ヶ月といふ生涯でありましたね。
 あなたはお月様が一番好きで、最後迄お月様の歌を謡ひましたね。あなたは
最後の別れをして逝く時には、紅葉のようなお手々をあはせ、ハンドバックにお
菓子を入れて永久にかへらぬ旅につきましたね。
 余りにも早くあなたは永住の地を求めて去ったので、生きてゐる事が既に不思
議な夢です。
 最後の息をひきとる時にはどんなに苦しかったか。小ちゃなお手々をしっかり握
って、如何に死の苦しみは切なかったか。許して下さい。幼き霊よ。

 一九五二年十一月六日
 誠に呪はしい年であり、呪はしい日でした。
 明けて一九五三年一月元旦
 今日許りは一日泣くまいと思っても、遂枕をぬらしてしまひました。オカッパ頭の
子供が遊んでゐる時には、其の中にかな子ちゃんがゐないかと必ず立ち止まって
みる母の苦しい心を誰が知る。生活の為には随分あなたを邪魔にしましたね。あな
たは風が一番恐ろしいので、「母さん、風、風吹くなって歌ってごらん」とよく云った
ものです。
 あなたは風と共に去りぬ。死は安住の場所、死程尊いものはないのです。
 最後のオバーちゃんの声がよく聞こえましたか。
「短い寿命であった。今度生れる時には長い長い寿命をもらっておいで」とあの言
葉。かな子ちゃん 、今度生まれる時には幸福な所に生れて下さいね。
 毎年三月三日のお雛様が来ても、あなたが母の許に帰らない限り永久に三月三日
はないでせう。

 二月十三日で逝って百ヶ日 其の朝の明け方にはっきり夢に現はれました。赤い
靴下をはかせてゐると、あなたは「其の前掛けするの厭だなー」と太い声で云ったの
で、かな子は生きてゐると許りに喜んでゐると、やっぱり独りねの淋しい夢の中でした。
 百日前のあの時、母と子は三ッの歌を聞き乍らねんねしたあなたではなかったか。
母は生涯善きにつけ悪しきにつけ涙を忘れることは出来ない。一分間も一秒間も絶
えずあなたの在りし日の幻を追って居ります。
 やがては又春がやってきた。楽しい春が来ても子を失った母の心は狂う許り。
やがて春も老いていく。
 白裝束姿に、小ちゃなお顔に白粉つけて紅つけて、安住の天国に花嫁に召されて行
きました。きれいにお化粧して上げましたよ。心で泣き乍ら。
 余りにも可憐な、余りにもいぢらしいあの尊い姿。微塵も汚れのない清らかな姿。
あなたは尊い御仏の姿でした。
 かな子は在命の子。運命の糸につながって、あの子は夢の国に突然に去った。
生活も最悪の年に生を享け、最悪の年に散った余りにも薄倖なかな子ちゃん。
 今一度「母さん」と一声きかして下さい。
 はち切れさうな真紅な六号のお顔をせめて夢になりと。主のないテンマリもボンヤリ
ころがってゐるのをみて、思はず抱きしめてやりますと、寸秒も忘れ得ないかな子
ちゃん。あなたは永劫に母の胸には帰らないのですか。何時迄待ったら母さんの許
に来てくれるの。
 一辺の布、センベイのようになった下駄をみる毎に思ひは新たに、すべてがなつか
しく、あなたを恋ふ母心は炎のように燃えて苦しい。
 刻一刻とあなたの傍に行かれるのが最上の喜び。あなたは夢の国で何をして働い
てゐるでせうか。
 あなたはほんとに働く子でした。薪を運んだりコークスを運んだりお芋を籠に入れて
運んだり、大根を運んだりよく働いてくれましたね。
 こんなかはいい幼ない命を奪はうとは神も仏もないもの。 我が命が失せない限り何
で忘れられよう。何で諦らめられよう。
 かな子ちゃん、あなたは母さんと二人で相抱いてはよく泣きました。母さんの為にあ
なたも共に泣いてくれました。あなたは母さん一人をおいて遠い所に行ってしまって。
今は只、あなた故に暗い生活。あなた故に泣く母さんをあなたはどこでみている事でせう。

 今日は七月七日 第四回目のお誕生日
 嬉しかるべき今日はかな子ちゃん、何と云ふ変わり方。あなたの丹前の下で咽ぶ母
の声が。
 けれどもかな子ちゃん、母さんが泣けばあなたも泣くとやら。之からは母さんも泣か
ないで、行く途に明るく灯をつけて上げますから。其の灯りを頼りにおぢいちゃんとお
手々をつないで、仏としての上座に進んで下さい。
 あなた故の暗い生活、淋しい生活、希望のない生活、あなたを殺した母さんはかうし
て苦しまねばならないのです。
 誰しも一度は行かねばならない処。必ず母さんの行く日を待ってゐて下さい。かな子
ちゃんが迎へに来た其の日には喜んであなたを思ふ存分抱っこして上げませう。
 朝おきると大きな嘆息、其の苦しい嘆息を幾度となくくりかへす一日。かな子ちゃんは
朝おきると「おきたよう」と一人一人にあいさつする子でした。朝のおやつがほしい許りに。

 今日は初お盆。一年に一度の逢ふせを楽しみにおぢいちゃんとお手々をつないで来
ましたか。こんな悲しいお盆てあるでせうか。
家中の人は亡きみ霊を慰めに詣りました。
 前にも約束しましたね。母さんは決して泣くまいと。心で泣き乍らも母さんは泣きま
せん。あなたが仏の上座に位する迄は。
 美しいお盆提灯を戴きました。あの二ッの提灯に灯をつけて上げますから、決して迷
はずに仏の道に精進して下さいね。

 今日は七夕祭り。去年の今日は七夕提灯を持って元気に歩いたあなたでした。何も
かも思ひ出は尽きる事なく幻を追ふ許り。
 天と地を異にしたかな子ちゃん、無智な母を、愚かな母を「かな子のアーちゃん」と呼
んでくれましたね。「兄ちゃんのアーちゃん、ゐねんでケー」とよく云ったものでした。
 母さんは今日限りすべてをあきらめました。運命の二字に托して。
 よせては返す波の如く、浪のまにまに逆らはず運命と共に生きるより道はないと悟
りました。
 かな子ちゃん、静かにねんねしなさいね。
 其の中にはきっと又逢ふ日迄におちつく所は只一つのみ。

 亡き子を月になぞらへ、星になぞらへ、毎夜の月を星をかな子ちゃんと思っておがむ
悲しい母さん。海の幸、山の幸も知らずに去ったあなたを只の一度も喜ばせることの
出来なかった母さんですもの、母さんだって生涯かけても嬉しいことはない筈です。
 あなたの不幸を思ふと断腸の思ひ。オモチャのないあなたは毎朝父さんにオンブして
長橋迄ブランコ乗りに行きましたね。
 今宵は十五夜。去年の十五夜には元気でお豆を食べたのに、今年のあなたはお月
様になってしまって、「十ヨ五のお月様みてはねる」とよく歌ひました。

 母の心は永久に晴れる事のない此の頃。秋深まると共に一層淋しく悲しい。
 今日は十一月一日。去年の今日もやっぱり雨でした。二日の日は二ヶ月振りでやっ
とお風呂に入り、思へばあれが最後の死出の粧ひでした。
 やがてアカシヤの葉もおち、菊の花もダリヤも朝顔の花も来年の春を約して散りま
した。その花と共にあなたは翌くる年の春を待たずに、つぼみのままに永久に咲か
ないのでした。
 あのかはいいつぼみをどうして一日だって忘れませんよ。

 そっと母さんの胸に秘めて、あなたを偲んで泣くのが今の母さんには最上の悲しい
幸福です。四歳にして母に去られ、四歳にして去った我が子。何と云ふ自分は運命の
子か。 希望の光を失った母は只苦しむのみ。只、救はれるものは、傷心を忘却の岸
におし流される歳月のみ。然るに忘れじとして忘れようと努力する苦しい気持ち、今迄
によくも生きてきたものと思ふ。
 四歳のあなたの忘れじの面影よ、永久に母さんの目が見えなくなる迄、あなたの姿
を忍ぶでせう。
 忘却とは忘れ去る事なり。忘れ得ずして忘却を誓ふ心の苦しみ。
 かうして母さんが苦しむのも当然の試練なり。母さんはあなたの為に永久に泣かね
ばならないのも当然なり。
 私も母の真の愛を知らぬ故にあなたも母の愛情を知らずに
by oss023 | 2012-05-07 19:42 | 名もない私の母 | Comments(18)


.im_hit,.im_title { display : none;}