徒然なるままに-023

カテゴリ:医療( 4 )

歯科検診・歯肉ポケットの深さ

【記録のために】

<歯科検診記録(ポケット)>
今回は前回より改善!

歯磨きを頑張ろう!

2017.4.19
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by oss023 | 2016-10-07 21:16 | 医療 | Comments(0)

認知症の介護

                  北海道新聞  2013年(平成25年)5月26日(日曜日) 転載
    介護者を味方と印象付け、低い目線で手助けの意志伝えて

                  砂川市立病院精神神経科部長 内海 久美子さん

        (19日、札幌市中央区での講演会「認知症のいまを学ぼう-支えあう地域づくりのために」より)

  2006年、介護疲れと生活苦から、50代の男性が認知症の86歳の母を
殺す事件がありました。母の徘徊がひどくなって退職し、デイケア代や家賃
も払えなくなった末の心中でした。  
 道内でも北見で4月、介護疲れから80代の妻が夫を殺す事件がありました。
家族や施設職員による高齢者への虐待も増えています。虐待の背景に、認
知症があるのが実態です。 
 認知症は病気ではなく状態です。全国に400万人いるといわれています。
認知症の原因で多いのは、脳が縮むアルツハイマー病で5~6割を占めてい
ます。
 脳が縮んでいる様子はMRIという磁気共鳴画像装置で分かります。脳の働
いていない部分が分かるスペクトという最新の検査機器もあります。進行を遅
らせる薬もありますから、治療は早めにした方がいい。
 アルツハイマー病になりやすいのは、高血圧、高脂血症や肥満の人。カロリ
ーを過剰摂取すると3倍かかりやすくなるといわれています。予防には野菜、
魚、果物をとること。運動も脳が活発になるので効果的です。社会的な交流
活動も大切。歩きながら見つけた花の名を調べるなど、長続きする趣味がお
勧めです。
 認知症の症状には、幻覚、暴言、攻撃的な行動などがあります。通帳を盗
られたという妄想は、盗まれないよう分かりにくい場所にしまい直したことが
原因である場合が多い。移動したのを忘れても、前の保管場所は覚えている。
わたしたちならどこへ移したのかと考えますが、判断力が落ちているために、
嫁や夫が盗んだと疑うのです。
 そんな時、決して否定しないでください。否定すると、信じてくれないことに腹
を立て、介護者が敵になってしまう。味方だと印象付けるのが大切です。「大
変だ」と共感し、探すふりをしてください。そして「疲れたからひと休みしましょう」
と言えば、そのうち何を捜していたか忘れます。
 「母に会いに行く」と言われても「死んじゃった」と言うのではなく、「明日にしよ
う」と答えてください。明日になれば忘れています。介護はぎくしゃくしないことが
大切。愛のあるうそは許されます。
 認知症になると、思うことが伝えられず、誰でもイライラします。怒られて尊巌
が傷つけられれば、時に拳が上がる。その時はまず介護者が落ち着いてくださ
い。大声には小声で話し、視線の高さを相手より下にしてください。動物的本能
で、相手の目線が上にあると攻撃的になってしまうのです。ゆったりした低いトー
ンの口調で、「どうして怒っているの」と話しかけ、何でも手助けするという意思
を伝えてください。
 認知症の人にしたら、分からないことの連続です。家事や仕事の失敗が増え
て自信がなくなる。今がいつでどういう状況かも分からなくなり、不安と混乱でい
っぱいなのです。
 子供のしつけとは違う。叱ってはいけません。汚したパンツをたんすに隠して
いても、「まだ恥ずかしいと思えたんだ」と前向きにとらえてほしい。
 どんなに症状が重くなっても、感情は豊かなままです。五感も残っていますか
ら、スキンシップを大切に、手を握ったり、背中をさすってあげてください。
 砂川では10年、認知症患者と家族を支援するボランティア団体「ぽっけ」が設
立されました。医療機関の受診時の付き添いや、家族が忙しい時の見守りなど
をしています。家族を救うことが認知症の人を救うことになります。各地にある町
内会組織が、ぽっけのように、患者と家族を支えるネットワークの第一歩になる
と期待しています。
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 うつみ・くみこ 55年、旭川市生まれ。札医大卒。96年に砂川市立病院に赴任し、
04年に精神神経科、神経内科、脳神経外科の科合同の「もの忘れ急患伝門外来」
を開設。10年から同病院の認知症疾患医療センター長を務める。57歳。
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by oss023 | 2013-06-27 10:46 | 医療 | Comments(0)

病気の記録

病気の記録


<乱視に関して>
13.12.9
札幌「誠心眼科:松田院長
様々な検査の結果眼鏡の処方箋を書いてくれた。
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14.1.30頃、小樽富士眼鏡店長湯谷さんに作ってもらう。25000円くらい。
2度ほど電話があり具合を聞いてきた。
14.2.23 店に行き、調整してもらう。
眼鏡の上の方が合っているような気がするので、レンズを下げてもらった
少し良くなったような気がする。半年くらいの猶予を頂き、その具合を見、
最終的には作り直しもあり得るとの約束をする。

<転んで頭と腰を強く打った>
13.12.7夕刻
町内会の役員会に行く途中坂で滑って転んだ。
腰の痛みは続いたが、頭はすぐに痛みはなくなった。
14年1月中頃から時々頭痛が気になり出した。時々であるが長くは続かずすぐに消えていく症状。
14.2.20午後
第2病院:伊東先生に診てもらう。CTと首のレントゲン。
結果は異常は認められなかった。
13.12.5に同医師に乱視の件でMRIを撮ってもらっていた。(誠心眼科:松田医師の依頼)
この時も頭の異常は認められなかった。

<胃の病気> 2013.2.28
一月ほど前から胃がもたれるような気がしてあまり食べないようにしていた。
体重も減少傾向にある。
減少傾向は数年前から食事を少なめにしたせいであると思っている。
特に夕食後のおやつは食べないように気をつけていた。
最大の時で64kgくらい有ったものが、最近では55kgくらいで、ズボンはガ
フガフ、シャツ類もLからMに変更。
2013.2.28,E病院のK先生に診て頂いた。
3月7日、胃カメラで調べる事になった。
果たしてどのような診断が下されるか。
 興味津々!
<胃カメラの結果>
2013.3.7
「逆流性食道炎」という診断でした。薬は「パリエット10mg」でした。
朝食後1錠飲むものでした。
<3回目の受診>
2013.4.2
あまり変化がありませんでした、と報告しましたら、薬の追加がありました。
「ガスモチン錠」でした。これは三食前に1錠ずつ飲むものでした。
2013.4.12現在、少しずつ胃もたれが軽くなってきたようです。
この日、ピロリ菌検査もして頂きました。(尿検査)
次回の受診日は、2013.6.4です。

<病院を替えてみた>
10月x日(協会病院:加藤)
ツムラ六君子湯エキス顆粒のみ処方。一度限りで終わった(2度目に行った時は治った事にした)

<更に病院を替えてみた>
2013.10.31(板谷病院)
相当な日数が経っても一向に良くならないので、I病院に行ってみた。
別の薬を処方してくれた。効いてくれるといい。
ツムラ六君子湯エキス顆粒・ガナトン錠50mg・ネキシウムカプセル20mg

痔の手術後の経過(内痔核・外痔核) 覚え書き (石山病院に持って行ったもの)
2010年1月、痔の痛みを覚え「小樽三浦外科」受診。内痔核と診断。
1月の中旬に手術を勧められた。入院は6日間で済むと言われ、了承。
2月1日、手術を受ける。終わって手術台にいる時、外痔核も取り除いたからと言って入院は3週間と言われた。
手術後4日目にトイレで排便時に出血があった。朝夕2回3錠ずつの「セチロ」を昼も飲む事になった。
(現在は便の状態によってセチロやシンラックは医師の指導で若干調節している)
手術後2週間くらいの時、朝の回診時に「肛門の左側が痛む」と訴えたら、「切ったんだから痛いのは当たり前だ」と言われた。
入院4週間で退院。(2月27日)    
以後、3週間ごとに通院、現在に至る。
6月頃から肛門の痛みが減り、「もう治ったかな」と思われる日も何日かあった。
しかし、再び痛みが出てきて、良い時と悪い時の繰り返しが今まで続いている。
一般的には、朝は比較的楽で午後から徐々に痛みが出てきて夕方が一番痛みが増すようだ。ちょっと寝たりすると、その後痛みが軽減することもある。
12月の初めにカメラを入れる診察をしたが、特に異常は認められないと言った。
痛みが続くと訴えたので、昨年12月25日の薬の中で外用薬を「強力ポステリザン」から「ヘモレックス軟膏」に替えた。外用薬以外の薬は同じものが続けられた。
およそ2週間後の今年の1月8日に再度痛みがあることを伝えたら、今度は「ポラザG軟膏」 に再度替えた。 現在に至る。
痛みの状況は、11月頃から悪くなってきているように思う。
その頃、直腸でもなく、肛門でもない左側臀部の一部に、ある動作をした時に若干の痛みを覚えた。(左足を右方向に持ち上げた格好時)→今は軽減している。
また、肛門か直腸か区別がつかない左側に体の前面に平行の方向に切り傷のような痛みを感ずる時がある。(術後の痛みを訴えた場所と同じところ)
この左側の痛みを訴えると「左側は深く切ったから」と医師は同じ事を繰り返す。
食事については、辛いものは一切避け、「野菜類を多くとるように」と何度も言われたので実行したら、体重が3kgほど減った。
アルコールについては、手術前は毎晩のように寝酒としてコップ半分弱を飲んでいたが、手術後は寝酒は皆無とし、どうしても寝付けない夜だけ睡眠薬を飲む事がある。
8月末頃から今までの間、350mlの缶ビールを3回ほど飲んだことがある。
手術後、知人達に自分が痔の手術を受けた事を話すと、8人もの人が何故「いしやま病院」に行かなかったのかと言われた。 非常に悔やまれてならない。
手術後から現在まで排便時に特別な痛みや出血は一度もない。
手術後便通がなかったのは現在まで2日だけ。
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by oss023 | 2013-03-01 16:49 | 医療 | Comments(2)

平穏死

平穏死

長生きはつらい

死を受け入れる気持ちが大切

作家・医師  久坂部 羊さん

北海道新聞より転載

2012.12.2掲載

(2012年11月12日、札幌市北区でひらかれた日本尊厳死協会北海道支部主催の講演から)

 長生きはつらいものです。年を取るわけですから、体にいろいろな
不具合が出ます。いつまでも若いときのまま長生きできるかのような
幻想が新聞やテレビ、雑誌を通じて広まっていますが、うのみにして
いるとつらいことになります。
 最近は平穏死という言葉が、新聞やテレビなどで取り上げられてい
ます。平穏死とは、余計な医療を行わず、温かく死を見守ることです。
死にゆく人を前に何もしないと、もどかしさや不安が募るかもしれませ
ん。しかし、病院に行くということは、逆に苦しいだけの悲惨な延命治
療を受ける可能性があります。
 平穏死というのは荘厳で穏やかなものです。考えてみてください。
江戸や明治時代までは、みんな家で死んでおり、大きな社会問題な
ど生じていなかったではありませんか。
 平穏死について考えるにあたり、私の父の話をしたいと思います。
 父は麻酔医で、65歳で退職しました。もともと現代医療に批判的
な性格です。
30代で糖尿病と診断され、食事療法に取り組みましたが、改善しな
いので、血糖値を測ることすらやめてしまいました。一方、白内障に
もかかり、私の妻に勧められ、仕方なく両目を手術しました。しかし、
これも良くなりません。そのうちに血液のめぐりが悪くなり、足の指が
壊死(えし)し始めてきました。
 父は「面倒な治療や痛いことは、まっぴらごめんだ」という考えの人。
好きなたばこをやめることもなく、インスリンの量を増やすばかり。そ
れもきちっと量ったりせず、感覚的に注射するのです。にもかかわら
ず、不思議なことにしばらくすると、壊死した部分が回復してきたので
す。こんなことは通常ではありえません。知り合いの医師に話しても
信じてもらえませんが、現実に回復したのです。
父は「治りたいと思ったら何もしない方がいいのかな」などと言ってい
ましたが、本当に不思議です。
 その後、前立腺がんを患ったことで、父は「これで長生きせずにす
む」という気持ちを強めました。父が恐れていたのは、むやみに長生
きすることです。年をとってあっさり死ねないと、ベッドの上などで自分
の思い通りにならない生活を強いられます。人の世話になるのはい
やなのです。だから治療を拒否しました。
 今年5月には自宅で転倒して尻もちをつき、骨折。「もう十分に生き
た。何もしなくて良い」と覚悟を決めました。訪問診療をしている医師
に頼み、診察はしてもらいますが、痛みや苦しみを和らげるのみで、
医療行為はほとんどしません。父も私たち家族も死を受け入れてお
り、明るい状況下で死を待つのみでした、。周りからはどう見られる
かわかりませんが、私としては最高の親孝行をしているような気持
ちでした。
 平穏死や自然死のためには、死を受け入れる気持ちが大切です。
これができている家ではいい形で死ぬことができます。ただ、難し
いのは家族。本人はある程度死を受け入れることができるのです
が、家族はそうはいきません。別れがつらい、悲しいという気持ち
にとらわれてしまいます。
 しかし、家族がその気持ちを表面に出し過ぎると、死を受容してい
る本人が逆に苦しくなるのです。本人が望んでいない医療を行うこ
とは、厳しい言い方ですが、ただ家族が安心したいだけのことにす
ぎません。
 父はまだ存命ですが、いずれみとることになるでしょう。良寛のこ
とばに「死ぬる時節には死ぬがよく候というのがあります。死ぬ時
が来たら静かに死を受け入れなさいということです。さまざまな欲
望や執着を捨て、受け入れることが、平穏死にとって重要なのだ
と思います。

くさかべ・よう> 55年大阪府堺市生まれ。
大阪大学医学部卒。民間病院勤務や外務省在外公館医務官など
を経て、03年に小説「廃用身」で作家としてデビュー。執筆活動と
ともに、訪問診療も続けている。57歳。
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by oss023 | 2013-01-20 12:06 | 医療 | Comments(0)


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