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徒然なるままに-023

平穏死

平穏死

長生きはつらい

死を受け入れる気持ちが大切

作家・医師  久坂部 羊さん

北海道新聞より転載

2012.12.2掲載

(2012年11月12日、札幌市北区でひらかれた日本尊厳死協会北海道支部主催の講演から)

 長生きはつらいものです。年を取るわけですから、体にいろいろな
不具合が出ます。いつまでも若いときのまま長生きできるかのような
幻想が新聞やテレビ、雑誌を通じて広まっていますが、うのみにして
いるとつらいことになります。
 最近は平穏死という言葉が、新聞やテレビなどで取り上げられてい
ます。平穏死とは、余計な医療を行わず、温かく死を見守ることです。
死にゆく人を前に何もしないと、もどかしさや不安が募るかもしれませ
ん。しかし、病院に行くということは、逆に苦しいだけの悲惨な延命治
療を受ける可能性があります。
 平穏死というのは荘厳で穏やかなものです。考えてみてください。
江戸や明治時代までは、みんな家で死んでおり、大きな社会問題な
ど生じていなかったではありませんか。
 平穏死について考えるにあたり、私の父の話をしたいと思います。
 父は麻酔医で、65歳で退職しました。もともと現代医療に批判的
な性格です。
30代で糖尿病と診断され、食事療法に取り組みましたが、改善しな
いので、血糖値を測ることすらやめてしまいました。一方、白内障に
もかかり、私の妻に勧められ、仕方なく両目を手術しました。しかし、
これも良くなりません。そのうちに血液のめぐりが悪くなり、足の指が
壊死(えし)し始めてきました。
 父は「面倒な治療や痛いことは、まっぴらごめんだ」という考えの人。
好きなたばこをやめることもなく、インスリンの量を増やすばかり。そ
れもきちっと量ったりせず、感覚的に注射するのです。にもかかわら
ず、不思議なことにしばらくすると、壊死した部分が回復してきたので
す。こんなことは通常ではありえません。知り合いの医師に話しても
信じてもらえませんが、現実に回復したのです。
父は「治りたいと思ったら何もしない方がいいのかな」などと言ってい
ましたが、本当に不思議です。
 その後、前立腺がんを患ったことで、父は「これで長生きせずにす
む」という気持ちを強めました。父が恐れていたのは、むやみに長生
きすることです。年をとってあっさり死ねないと、ベッドの上などで自分
の思い通りにならない生活を強いられます。人の世話になるのはい
やなのです。だから治療を拒否しました。
 今年5月には自宅で転倒して尻もちをつき、骨折。「もう十分に生き
た。何もしなくて良い」と覚悟を決めました。訪問診療をしている医師
に頼み、診察はしてもらいますが、痛みや苦しみを和らげるのみで、
医療行為はほとんどしません。父も私たち家族も死を受け入れてお
り、明るい状況下で死を待つのみでした、。周りからはどう見られる
かわかりませんが、私としては最高の親孝行をしているような気持
ちでした。
 平穏死や自然死のためには、死を受け入れる気持ちが大切です。
これができている家ではいい形で死ぬことができます。ただ、難し
いのは家族。本人はある程度死を受け入れることができるのです
が、家族はそうはいきません。別れがつらい、悲しいという気持ち
にとらわれてしまいます。
 しかし、家族がその気持ちを表面に出し過ぎると、死を受容してい
る本人が逆に苦しくなるのです。本人が望んでいない医療を行うこ
とは、厳しい言い方ですが、ただ家族が安心したいだけのことにす
ぎません。
 父はまだ存命ですが、いずれみとることになるでしょう。良寛のこ
とばに「死ぬる時節には死ぬがよく候というのがあります。死ぬ時
が来たら静かに死を受け入れなさいということです。さまざまな欲
望や執着を捨て、受け入れることが、平穏死にとって重要なのだ
と思います。

くさかべ・よう> 55年大阪府堺市生まれ。
大阪大学医学部卒。民間病院勤務や外務省在外公館医務官など
を経て、03年に小説「廃用身」で作家としてデビュー。執筆活動と
ともに、訪問診療も続けている。57歳。
by oss023 | 2013-01-20 12:06 | 医療

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